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今日見つけた国際ジャーナルは雑誌

高齢者問題
ここのところ、ドキュメンタリー番組が増えてきている。
その背景には、1時間でさえもテレビの前にじっとしておけない
若者のテレビ離れの進む中、いかに短時間に面白いものを
見せるかとしてきた結果、内容が薄くワンパターンとなった風潮が
ある一時代を追え、ホンモノ志向に変わりつつある視聴者へ向けた
一種の挑戦でもあるのかもしれない。

その成功を売らずけるかのように、先日放送された、
かつて大人気を博した役者の老後生活を追いかけたドキュメンタリー番組が高視聴率を記録したそうだ。

実は、私も釘付けになってその番組を見ていたひとりだ。

現在人の手を借りなければうまく生活のできない妻と、その妻を献身的に支える夫。かつて活躍していた夫婦は、おおきなお屋敷を離れ、都内のマンションで細々と暮らしているのだと、テレビが伝えていた。

我が家も例外ではない。早くに妻をなくしてしまった私の父は、仕事をしながら、そして介護なしでは生活のできない祖母を介護しながら、二人の娘を育てている。世間とは、一般的大多数の状況をとって判断するからか、父子家庭の我が家にはほとんど国からの援助はない。加えて、高齢化社会の進む昨今で、簡単に低価格で介護施設を利用することは困難である。

こうした救いの手すらどこにもない中で、今やこうした介護問題は、おそらく隣の家でも、隣の隣の家でも起こっているだろう。来年、再来年になれば3軒隣も4件隣の家にも、ひどい地域では町全体がそうなる。

一方では介護を避けて同居を拒ばみ、介護放棄によって死者が出たりする。元気なお年寄りは詐欺などの標的とされやすいと数々のところで言っているが、おじいちゃんやおばあちゃんがしっかり生きてきたからこそ今があることを考えなければならない。自分達がおじいちゃんやおばあちゃんになったときのことを考えなければならないのだ。

次代を担うのだという責任の持ち方が、極端に分かれてきている現状をとても不安に思う。会社などの組織には、一人一人が自ら読み取るルールがあるように思う。そのルールは、上司や後輩や同僚から学ぶ。たとえ学ぶ姿勢が自分や相手になくても、人は集団生活においてそれらを学んでいく。もちろんそのルールがずれていたりないとすれば、組織のルールはなくなる。一見これはその組織だけの問題にも思えるが、実はこれは社会の大きな被害の一部である。

例えば、課長が平社員の働く前でパソコンに向かって仕事をしながらタバコを吸うとしよう。社員達は嫌だと思いながら何も言えずに過ごすだろう。そこへ、新入社員が入社してくるとどうなるか。初めて会社に来た社員はタバコをすいながら仕事することは、「会社の姿」だと認識するだろう。

極端な例だが、新入社員にとっての親は上司や同僚であると思う。悪気のないこともあることも、全て学んで蓄積することができる(してしまう)。大学の教科書には「タバコをすいながら仕事をしてはいけない」という文字はどこにも書かれていないし、就職活動を目前に控えた大学生達に先生はそんな当たり前のことは教えないし、何故いけないのかということも教えていない。道端で寝そべって本を読んではいけないということや、電車のシートであぐらをかいてはいけないということを誰に教わるでもなく皆が知っているように、自然に学ぶことは山ほどある。

組織の中では一定のルールを読み取って実行しなければ、次代は少しずつずれておかしくなっていく。10年後や20年後崩れないとしても、30年後には必ずそうした組織は崩れるし、組織を崩してきた人々は違う組織も崩し、やがて世間がすこしずつ狂い出す。小さなたばこの吸殻で地球が泣いているように、小さなおきて破りで大きな社会が苦しむことになる。

国際通信社発行:現代画報の会社インタビューでは、さまざな組織の理念が読み取れる。誰が正しくて誰が正しくないという答えを見つけ出すことは組織の中では難しい。しかし、こうした組織の有り方を読んでいると、学ぶべきことは実にたくさんある。一般人の批評・評価時代
blogの大普及によって、情報誌が厳しい状況へ追い込まれた。
ロケハンをして取材に行って書いて編集した記事より、
「お買物のついてに寄ったカフェがよかったの」と学生が書いた日記に
反響が出る時代が到来したのだ。

しかしやがてそんな「○○したの~」が乱立し始め、
どれを信じればいいのか分からない情報が飛び交う時代となった今、
再び編集記事の載った情報誌の価値が見直されてきたのではないかと思う。

確かに、
「自分の店はすごいからとにかく食べに来てよ」
といわれるよりも、
「すごいいいお店見つけたから、食べに行ってみて」
といわれるほうが、興味をそそられるし、よさそうだ。
でも、
「この店は、ここがいいのだ」
と厳選して選んだ編集記事は見ごたえもあるし、
デパートにならんだ和菓子屋のように
安心して足を向けることができる。

自分を隠して故意に良く(または悪く)書いたかも分からない
文章を必ず正しいものかのように受け取るのは、
すごく怖いことのように思っているが、皆はどうなんだろう。

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